総務建設委員会行政視察二日目(長崎県長崎市)

人口約42万人、市域が406.47㎢の長崎市。九州の北西部に位置し、中核市に指定されている。

古くから、外国への玄関口として発展して生きた港湾都市であり、江戸時代は国内唯一の貿易港出島をもち、ヨーロッパ(主にオランダ)から多くの文化が入ってきた。

人口は長崎県で最大であり、市域面積の13.1%である市街地に人口の約78%が住んでいる。

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今回の視察対象としては、医療・介護・福祉の総合相談支援及び普及・啓発を行い、病気や障害を余儀なくされても安心して医療の場所を選択し、充実した生活が過ごせるように支援することを目的とし、在宅医療・介護連携の支援窓口として、総合相談支援、在宅支援・介護関係者の研修、地域住民への在宅医療等に関する普及啓発を行い、連携の取り組みを支援する、「包括ケアまちんなかラウンジ」について学びました。

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目標としては、(1)相談者が自分自身で解決策を見いだせるように支援する。

(2)情報提供によりその人の持てる力を取り戻し、その力を高めるように支援する。

 

事業内容としては、市民が住み慣れた地域で安心して暮らし続けられるような「長崎版地域包括ケアシステム」の構築に向け、在宅医療・介護連携の拠点として、

  1. 医療機関、介護事業所、包括支援センターからの相談を受けたり、情報を提供したりして、各機関がスムーズな連携支援
  2. 多職種が連携して包括的な支援を行えるよう、グループワークや情報交換などの「連携の場」づくり

更に、在宅医療・介護の普及啓発として、

  1. 医療職、介護職を対象とした研修会を開催
  2. 市民対象の健康づくり講座、在宅医療講座などを開催

 

〇包括ケアまちんなかラウンジと地域包括支援センターの違い

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長崎版包括ケアまちんなかラウンジは、もともとは長崎市医師会が国のがん対策モデル事業(緩和ケア普及の為の地域プロジェクト)として、平成20年4月に「長崎がん相談支援センター」を設置し、市民等から緩和ケアに関する相談、在宅療養に向けた支援等の活動を行ってきたのが始まりであるが、3年間で終了。

市の総合計画の位置づけで地域医療提供体制の充実を図ることを推進する立場をとっていたことから、市が事業主体となり発展的に事業を継承することとなった。

病気や障害により療養を余儀なくされた患者やその家族が、安心して療養の場所を選択し、生活が出来るよう医師会が行ってきた「医療支援機能」に加え、介護・福祉の相談等の「包括支援機能」を併せ持つ総合相談窓口を設置し、市民等への在宅医療に関する普及啓発等の事業を実施しているところが特徴としてあげられる。

さらに平成28年4月からは市全域の医療・介護・福祉の総合相談窓口としての機能に加え、医療・介護連携の拠点として地域包括ケア推進に向けた多職種連携の拠点、在宅での看取りの支援、地域の医療・介護資源の把握、市民啓発に取り組んでいる。

やはり、医療・介護・福祉の連携がどれだけスムーズに図れるかがポイントになるであろう。本市においても先進市を参考にし、医師会や地域包括支援センターとしっかりと地域包括ケアシステムの基盤構築に向け、すべての高齢者の為、ご尽力いただきたいものである。

総務建設委員会行政視察初日(長崎県諫早市)

平成30年5月9日(水)午後1時~2時半

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人口約136,000人、市域が321.79㎢の諫早市。長崎県のほぼ中央に位置している。

3つ海に面し、太良山山系の山々、一級河川の本明川、その下流には広大な干拓地があり豊かで多様な自然環境に恵まれている。

また、4本の国道や高速道路、JRや島原鉄道が通っており、交通の要衝となっている。

平成1731日には諫早市、多良見町、森山町、飯盛町、高来町、小長井町が合併して新しい諫早市が誕生したとのこと。

 今般、中心市街地活性化事業を進めている、諫早市を視察しました。

平成263月に、第2期中心市街地活性化基本計画が5か年の期間で認定され、区域面積は105haに及ぶ。市役所を中心とした区域でJR諫早駅、島原鉄道本諫早駅、永昌東町商店街、アエル中央商店街が区域内に存在する。

全市的な人口は減少しながらも中心市街地の人口はマンション建設の影響もあり、平成18年以降増加に転じた。

また、JR諫早駅の乗降客数は近年4千人近くで横ばいであるが、島原鉄道のそれは増加傾向にある中、諫早高校に附属中学校が開校されたことから、平成23年から大きく伸びている。

商店街の歩行者通行量は平成10年のダイエーの撤退、平成17年にはサティの撤退があり、休日の通行量が大きく減少した。そして、平成19年には休日と平日が逆転してしまう。ピーク時と比較して休日の通行量は1/6に減少した。

 

そういった過程の中で、平成11年には竹の下、本町、栄町の各商店街が「諫早市中央商店街協同組合連合会(アエル中央商店街)」を設立。

当年、まちづくり協定の策定を行い、平成1214年には各商店街のアーケード設置・改築工事が行われた。

また、サティの撤退を機に跡地を取得活用して、商店街が不足業種公募型店舗の「アエルいさはや」を建築に向けて動き出し、直ちに戦略補助金の採択を受け、国・市・自己資金を活用して、翌年には当該施設をオープンさせている。サティの撤退で喪失された約80人の雇用が、再度創出されたとの事である。

短期間での事業展開がなかなか他の商店街では真似の出来ないものである。

商店街の合意形成のスピード感、自己資金の問題、行政の関わり方が上手くかみ合った成果だと言える。長期間放置されると再興に対する意識が低下すると考えられるが、市民へのアンケートを基に当該施設は設計され、地域住民の生活環境が保たれていると思われる。

更には、「(株)まちづくり諫早」というまちづくり会社を設立し、地元産品直売所の「いさはや市場」を開業し、空き店舗を活用するなど、活性化の継続した取り組みを継続し、売り上げをあげている。

 

取組が進められた大きな要素として、企画・立案と事業を遂行する「商店街連合会」、資金計画や関係機関を調整する「商工会議所」、補助金制度支援や関係部局の調整を行う「市役所」が三位一体の協力体制で臨んだからであるとの説明があった。

その中でも商店街連合会の自己資金がもっとも大きな要素ではないかと考える。

本市の商店街は空き店舗が多く、商店街の体をなしていない現状において、後継者不足も相まって、不活性化が続いている。

この現状をどう打破するかは、やはり商店主のやる気が不可欠だが、自己資金や減りつつある組合員の協力体制が得られるかなど、課題が山積している。

大規模商業施設建設が予定されている中において、どう共存していくか。

住民が快適に暮らし続ける、そして新たに人を呼び込むためには商店街を含めた広い区域での抜本的な中心市街地活性化事業に着手していかないと強く感じた次第である。

その為には強いリーダーシップと住民の皆さんの理解と協力なくしては実現できない。

本気で進める時が本市でも訪れているのは間違いない。