昨日は、宮城県石巻市の大川小学校から始まり、南三陸町の防災対策庁舎、岩手県陸前高田市の奇跡の一本松を巡りました。

震災後、ずっと被災地を訪れたかったのですが、ようやくこの機会を得ることが出来ました。

まず、大川小学校では語り部さんにお世話になり、当時のお話しをつぶさに語っていただきました。

語り部さんは、当時、お母さんの帰りを自宅で待つ高校生の息子さんが津波に飲まれた遺族でもあり、息子さんの話になると涙を目ににじませながら語られる場面もありました。

訴訟にまで発展した大川小学校のことは誰もが耳にしていると思います。

当時、児童74人(内行方不明4人)、先生10人の尊い命が奪われましたが、遺族には市から間違った説明がされていました。

納得のいかない遺族は真実を知るために生き残った子どもや先生、被害状況の検証などから少しずつ真実に近づいていきました。

ここでは詳細に記載しませんが、もともと遺族は裁判を起こすことなど望んでいたわけでは無く、ただただ事実が知りたかったわけです。

なぜ、直ぐそばの山に登らなかったのか。

なぜ、違う方向に逃げて波に飲み込まれたのか。

真実を隠そうとする市から、明らかにするためには裁判を起こすしかなかった。

遺族が子どもの命に値段を苦しみながら付けなければならなかったことも知りました。

心ない人からの誹謗中傷に傷つき、生き残った子どもさんも震災の影響で未だに引きこもってしまっていることなど、報道がされないことも多々あります。

まだ、本当の意味での復興はされていないのです。

現場に立ってこそ分かること、感じることがあります。

語り部さんも是非、現場に来て欲しい。

そう、仰っていました。

確かに震災後約13年が過ぎ、もと建物があった場所は更地のままの所が多く、復旧工事が進んだことで当時と様子はスッカリ変わってしまっているので悲惨さを知るには当時の写真や映像からしか知ることは出来ませんが、それでも現場に立つことで、想像力を働かせ、当時のことを感じ取ることが出来ました。

今もなお、心に深い傷を負って生活されている遺族の皆さんのことを思うと言葉も出ません。

昨日も次から次へと大川小学校に訪れる方がおられました。

ただ遺構を見るのでは無く、語り部さんの言葉を受け止め、しっかりと心の目で観て感じ取って貰いたいです。

後世に伝えることが何よりの防災減災に繋がることを改めて理解することが出来ました。

文章のボリュームが出すぎてしまいますので、南三陸町の防災対策庁舎、奇跡の一本松については写真の掲載に留めたいと思います。